隣人・つながり・哀しみ〜映画「スープとイデオロギー」を見て

「スープとイデオロギー」という映画を観ました。この映画は、在日コリアンのヤン・ヨンヒ監督が、おかあさま(オモニ)をモデルに撮られた映画です。

大阪・生野区(在日コリアンの方が多く暮らされている街です)と、韓国・済州島。
済州島は今はリゾートの場所として名高い、とても美しい島だそうです。(私は行ったことがありません)

まず地図を見てびっくりしたこと。
近い!隣の韓国だからあたりまえなんだけど、日本と近い!
九州の真横やん!日本と中国の真真ん中やん!、、、

この近い近い場所、済州島で70年前に起こった「済州4.3事件」というものを、この映画を観るまで私はまったく知りませんでした。

済州4.3事件とは

1948年、アメリカ占領下の韓国・済州島。
3月にアメリカが軍政下の南朝鮮で単独選挙の強行を決定すると、南朝鮮労働党済州島委員会は「南北分断を決定づける」とし、北朝鮮との統一選挙を主張して反発。
翌4月に武装蜂起した。

単独選挙を成功させたい米軍政の意向を受けて、共産主義者を摘発する「アカ狩り」が激烈を極めた。韓国の初代大統領となる李承晩(イスンマン)政権は大規模な取り締まりのため島外から軍や警察のほか、北朝鮮を追われた右翼団体「西北青年会」の若者らを島に送り込んだ。
当局側は姿を隠した共産主義関係者をあぶり出すように集落を焼き払い、無関係の高齢者や母子の虐殺、性暴力に手を染めた。
54年9月までの間に当局は、無関係の島民を含む約3万人を虐殺。
また全国の刑務所で、事件に関連したとして軍事裁判を受けた約2500人の服役者が収容されたという。服役者は韓国に侵攻した北朝鮮軍の捕虜になったり、殺されたりしたとされるが、多くは消息不明だ。

東西冷戦を背景にしたこの事件は、南北分断を決定的にする朝鮮戦争(50~53年)の呼び水にもなった。

今も口をつぐむ人が多く、わからない点が多いこの事件だが、革新系の金大中(キムデジュン)政権が2000年に「4・3真相究明特別法」を制定。その後に続く政権にも継続されて、少しずつ事件の全貌が解明されつつあるとともに、罪なく服役した人の名誉回復や、消息不明者の確認などが進みつつある。

映画のモデルとなっている、ヤン・ヨンヒ監督のオモニは、この4.3事件を生き延びた生存者だった。年を重ね、体力も記憶もままならなくなる中で、少しずつ重い口を開くオモニの姿が日常の中でリアルに愛情深く撮られていた。

また、監督自身の三人の兄は、帰国事業で北朝鮮へ。両親は熱心な朝鮮総連活動家として生きた。


近い近い国、朝鮮半島。
今も分断が続く、1つの民族である2つの国。
日本が占領していた過去の歴史があり、日本の敗戦の混乱の中で、北から旧ソ連軍が、南からアメリカ軍が進駐し分断したままの、1つの民族の2つの国。

あまりにも生々しく残忍な悲劇と、人生の中で決して語ることのなかった凄惨な記憶を、年老いてアルツハイマーの症状が出る中で蘇る封印した記憶。


知らないことが ほんとうにたくさんあります。
いや、この事件は韓国でも知る人が多くはないのだと、映画の中で語られていました。
今も続く深いかなしみが この世界にはたくさんある。
その中にあっても、懸命に希望をみつけて生きる人のいとなみがある。

解決されてゆくべきものは 何だろう?
守られるべきものは 何だろう?

今 わかることは、どんな歴史も どんないのちも、ないことにされず 尊重されてゆきつつ、未来をともに軽やかに歩める方法をみつけてゆくこと。
それを可能にするものは何だろう?と考え続けること。

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映画:スープとイデオロギー

Dialogue for People:Radio Dialogue 064
ヤン ヨンヒさん「映画『スープとイデオロギー』からたどる済州の記憶」 (6/22)

■済州4.3事件について参考にしたサイト

http://www.y-history.net/appendix/wh1601-102_1.html

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/718326/

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