広島のソーシャルカフェ・ハチドリ舎さんの主催で、「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」の三人の方のお話しを聞くことができました。
寿都町は、北海道のココ↓↓↓
人口2800人。Iターンの若者も多いらしく、一度外で暮らしても「帰ってきたくなる町」なんだなと思いました。30代前後の若者もけっこういるらしく、賑わっているとのこと。過疎と高齢化に苦しむ町が、将来を憂いて核のゴミの最終処分場に手を挙げたのかと想像していた私の意識は、初っ端から挫かれました😅
【核のゴミ 最終処分地問題とは?】
原子力発電所から出た核のゴミの中でも危険性が高い強い放射能を残した廃液は、ガラス原料と合わせて、ステンレス容器の中で固められます(これを「ガラス固化体」と呼ぶ)。
強い毒性を持ち、安全な線量になるまでおよそ10万年かかると言われています。
その危険極まりないガラス固化体を、10万年の間 どこに置くのか、、、なかなか引受手がみつからない中、北海道の寿都町(すっつ町)と神恵内村(かもえない村)が、最終処分地選定プロセスのはじめの部分に当たる「文献調査」を受け入れ調査が進められています。
寿都町の三人のみなさんがお話しくださったのは、「2年前の2020年8/13、寿都町の上空に突然ヘリコプターが来て、取材の車がわんさか来て、街が騒然となった、、、その日まで、何も知らなかった、聞かされていなかった」と。
【「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」Aさんの話】
2012年、寿都町出身のご主人と、札幌から寿都へ。
寿都は人がやさしく、子育てしやすい自然環境がある。
2年前の8/13、買物に来ていたパン屋さんで、突然テレビ局のインタビューを受ける。
「核のゴミの最終処分場は必要だと思いますか?」という問いかけに、まさか寿都で検討が進んでいるとは知らなかったので「害がないなら必要だと思います」と言ってしまう、、、
その日の北海道新聞朝刊一面トップに、寿都町が核のゴミ最終処分場の調査に応募検討と掲載されたことを、後で知ることとなる。
すぐ、水産加工業の若者たち8人と一緒に、「寿都に核のゴミはいらない町民の会」(現在の名称は「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」)を立ち上げ、文献調査の反対署名活動を開始。
すぐに住民に町から圧力がかかっていることがわかる。特に役場関係とその家族、建設業の方などは、署名が書けない。
それでも1ヶ月で800ちょっとの署名を集め、片岡町長に提出。
運動の経緯は、こちらのWEBページに詳しく載っています。
http://kakugomi.no.coocan.jp/contents/keii.html
賛成/反対以前に、「そもそもちゃんとふつうに話したい」と思い「くっちゃべる会」を主催するも、そもそも賛成の人はなかなか来てくれない。
賛成/反対で対立するのではなく、賛成は賛成の話が聞きたいと思うのだけど、むずかしい。
それでも「くっちゃべる会」を続けていると、町会議員の人などもだんだん来てくれるようになった。
【「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」Bさんの話】
寿都に13年前に引っ越してきた。
自然あふれる場所だけど、子どもを遊ばせれるような公園は少ない。
港町だけど、魚屋さんが少ない。みんな魚をどこで手に入れるんだろう?と思っていた。
町の施設の建物などが立派で、「この町は豊かなんだな」と思っていた。
でも、だいたいのことは何も知らされないまま話が進んでゆくということは以前からあった。
町民のだいたいは顔見知りで、噂はすぐに広まる。
でも、核ゴミ処分場のことは、本当に誰も知らなかった。
寿都が核ゴミ処分場の候補地として文献調査がはじまることがわかり、最初義両親に相談。
義両親は、「そんなことにはならないよ」と言った。
また「目立つことしちゃいけない、目立つことするのはよそ者だけだ」とも。
でも、自分の頭で考え、「今声をあげなければ」と思い続けている。
2020年9月10日に行われた、寿都町主催の住民説明会に、子どもを連れて行った。
260人ほどの参加があったが、子どもは3人ほどだった。
子どもが質問したが、まわりの大人たちからは「どうしてこんな場所に子どもを連れてくるのか?」と言われたが、引き受ける世代の子どもたちがどうして話を聞いちゃいけないのかわからないと思った。
「この処分場が出来上がる頃、あなたはもう死んでるよね?」と言う人もいるけれど、「じゃ子どもの代は?」と思う。
Bさんは、家のこと、子育て、仕事 全部やりながら、活動も必死にやっている。
でも、子育て世代で活動する人が少ないのは、それぞれの自分の生活で精一杯だから参加には至らない。
活動していてつくづく思うのは、「賛成派は勉強していない」ということ。
寿都で2回に渡り住民投票条例の検討があった。
1回目は町民の会の直接請求によるもの。2回目は町長提案によるもの。
会が提案したものはあっさり議会で否決され、町長が翌年に提出したものに議長が修正を加え、可決したのが2回目です。
話を聞いてびっくりしたのは、可決された2回目の案は「過半数の投票がなければ開票しない」としていること。この案だと、賛成派に行くのを止めさせると、投票所に行く事でしか反対の意を示せない人=反対派と、反対派の人があぶり出される形になり、人間関係の狭い町で、結局みんな投票に行きにくくなるということになります、、、おそろしや、、、
2回の住民投票条例について、詳しくはこちらのページに載っています。
http://kakugomi.no.coocan.jp/contents/juumin.html
町の人は核のゴミについて口を閉ざす。町民は言いたいことが言えない仕組み、構造があることがよくわかるお話しでした。
【「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」Cさんの話】
Cさんは、魚の研究者から町の職員にスカウトされ公務員として働かれたあと、今は辞めてこの活動を続けておられるそうです。
資料のスライドのわかりやすさがすばらしくて、めちゃくちゃ学びになったし、ややこしい話をわかりやすく伝えてくださいました。
私がお話しから受け取ったことは、片岡町長はすごくやり手の方なんだなぁということ。
しかし、その「やり手」さ加減はかなり危ういもので、
日本政府相手にビジネスを仕掛ける無防さや、「役場財政の豊かさが町民の豊かさにつながる」という決めつけ、思い込みをもとに突っ走っている感があり、そこにモノ言えぬ、自分では考えぬ多くの町民のみなさんが口をつぐんでいる構図が見えました。
寿都の町民のみなさんは、若い世代もIターンを中心に一度町を離れても帰ってきたくなるような、豊かな自然と人のあたたかさ、そして漁業人口が減っても漁獲高は頑張って維持することで、結果一人当たりの収入は多くなり、みなさんの収入も安定しているよう。
現状困ったことが何もないのに、危険なものを引き受けて町が分断されたり、取り返しのつかない環境破壊を引き起こし、将来世代に引き継がせてしまう、、、
そもそも、原子力政策自体の問題をどうするのか?
核ゴミの処分については、ヨーロッパが先行しているけれども、日本に比べヨーロッパは地震が少なく比較的安全。
それに比べて地震大国の日本が、いくらガラス固化体に固めるとはいえ、10万年にも及ぶ長い期間、地層処分という方法が果たしていい選択なのか?
昨今よく散見されることの1つとして、「住民の声を聞く」「環境調査や安全性の調査をする」というのは名ばかりで、とにかく「やることは決まっていて」、形式的に住民説明会や調査をするということがあまりにも多すぎるように思います。
日本に民主主義なんて本当にあるのかと、思わざるおえません。
どうしたら、みんなで考え、話して決めてゆけるでしょう?
そもそも、日本の多くの人は、本当に「自分の頭で考え、みんなで話して決める」なんてこと したいんでしょうか??
ブレイクアウトルームに分かれたとき、フランス在住の日本人の方といっしょになりました。
市民の力で政治を変えてゆくパワーを持った国・フランスでは、反対運動は最初は大変だけれど、それでも何度も何度も知識を共有してゆけば だんだんに理解する人は増えること。
ほとんど問題は、シングルイシューではなく複合的な問題が多いので、若い人やマイノリティ、さまざまな人たちが参画してゆくことで活動に厚みができて、専門家が必要な調査も自分達で依頼してデータを政府に突きつけることでいくつもの問題を変えてきた話をしてくださいました。
また主催のハチドリ舎・安彦さんからは、吉野川の住民運動の事例の提示がありました。
反対運動ではなく賛成運動に変えて、議員を議会に送り込んでいくという運動の形は、今後各地のサンプルになること。
私は話をちらっと聞いたことがあるだけで、このことを深く調べてみたことがないので、詳しく知りたいと思いました。
私の原発巡礼の旅も、あと1−2行程、今年中には終わる予定なのですが、これから向かおうと思ってた北海道。寿都町にも伺おうと思っていたので、今日お話しを聞いたみなさんと、ぜひ直接お会いできるといぃなぁと思いました。
(文中に使っているスライドは、登壇者による説明資料を、許可を得たうえで使用しています。)