参加してきました。
大阪から2回目の参加でした。
1回目に私が学んだことは、いろいろ質問しても答えのパターンはけっこう決まっているので、今回は原稿を用意し、今自分が思っていることをちゃんと伝えることに集中しようと思いました。
その際、批判だけにならず代替案を用意すること。NOを言うべきところはちゃんとNOを言うこと。
今回は、今の時点で精一杯書いた原稿を記録に残します。
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GX政策について意見を述べさせてください。
●自然エネルギーを主力電源に、と明確に打ち出していただいてありがとうございます。
それをより進めるために、ぜひ予算も自然エネルギー関連予算を最大に投資してください。できることはいっぱいあります。
●自然エネルギーはあくまでも地産地消が基本で、それが最もふさわしいエネルギーだと私は考えています。
ぜひ国から各自治体に呼びかけて、「自然エネルギーの基本は地産地消」と呼びかけてください。
●各地域の土地の性質、住民意識、住民との対話を担いやすいのは地方自治体だと思います。
地方自治体と電力会社が連携して、その自治体で可能な自然エネルギー量の最大値を、まず網羅的に把握するところからはじめるのはどうでしょう?
太陽光に適した土地、風力に適した土地、バイオマス、水力、小水力、地熱ほかあらゆる自然由来エネルギーの適地・候補地を、国有・自治体所有、民間所有に関わらず、地方自治体と電力会社が一体となって持ち寄るための調査に、まず大きく予算をとります。
候補地の中には、山、海、川。
そして耕作放棄地。個人が面倒見れない土地は、国や電力会社で買い取ればいいと思います。担い手がいなくて放置された土地は荒れていきます。法案改正が必要ならば関係省庁と連携して作ってください。
耕作放棄地には太陽光パネルを。その際、あとで誰か農業の担い手が出てきたときに再び農業ができるように、太陽光パネルを間隔を開けて設置、背の高い位置にパネルを設置する、ソーラーシェアリング用地として開発します。そしたら担い手を育てて、食糧自給率を上げることにもつながります。
そして現在農業をしている土地。こちらも農協と協力してソーラーシェアリングを推奨し、そのことについて農家が安心してソーラーシェアリングに移行できる補助を出し、発電と農業をセットで、農家の収入が安定的に増えて担い手が増えていく仕組みを、農水省と連携してぜひ作ってください。
ソーラーシェアリングがGX政策基本方針の中に入っていなかったので、次回の見直しの時ぜひ加えていただきたいと提案します。
次に、あらゆるビルやマンションの屋上や窓に、太陽光パネルを設置してください。発電できる窓がすでにあるはずです。
断熱をして省エネを進めるために、インナーサッシを設置する補助などがすでに出ていると思いますが、それもいいですが、断熱だけではなくて、発電もする。できることはやり尽くす発想に変えてください。
これは、地方自治体と電力会社が連携して、あらゆるビルやマンションオーナー、自治会と個別に相談してゆくスキームです。
このことに予算を大きくかけてください。
そしてあらゆる屋根。東京都のように、新設住宅の屋根に太陽光パネル設置を義務付けるとか、小規模で安価な建売住宅を増やすことを規制し、独立性の高いタウンハウス(メゾネット式集合住宅)の屋根に設置を義務付けることで、屋根を広くとる。発電に向く屋根を増やしていく。そして、自分の家で使う電気は基本的に自分の家の中で賄える、その地域で使える電気は、基本的にその地域で賄える、その管理を自治会単位、小学校区単位で管理把握する。
都会はとても使う電気のすべてを賄うことはできないから、余裕のある地方から譲ってもらう。譲ってもらう電気は高価になってもあたりまえだと思います。
電気を作っている場所と、作ってもらっている場所はどこなのか、見える化することも重要だと思います。
そうやって、各自治体で自然エネルギー由来発電の最大値のポテンシャルがどれだけあるかを出し、どんどん自然エネルギー発電開発を進めてください。
その際に国の任務として一番重要なのは、市場の解放ではなく、規制だと思います。
国は、厳格な規制基準を持つ。
自然を壊す乱開発を決して許さない。
その基準作りには、あらゆる専門家、とりわけこの国に欠けているのは、生物多様性の視点と、住民とのコミュニケーションだと思います。
人間は、この地球に人間だけで暮らしているのではありません。自然をもっともっとよく知り、自然の特性を生かし、自然に助けてもらう共存の開発が必要です。
生物多様性の専門家、環境の専門家、景観の専門家をもっと国に呼び込んでください。
今、自然エネルギーを増やしていこうとしても、あちらこちらで住民反対運動が起こっていることを私も危惧しています。
それは、まず第一に地元に事前の了解とコミュニケーションが足りないからです。
自由化の主体そのものを間違えていると私は考えています。
地域の主体は、企業ではなく住民です。国の主体は、主権は国民です。
先に、地域の電気、自然エネルギー開発は地産地消が基本だと申し上げました。
地域の山で、川で、海で、耕作放棄地で、屋根で。地域のあらゆるポテンシャルを使って、どれだけくまなく自然を活かした発電をしてゆくのか。それを見つけ、話し合い、開発していく主体は、地域住民です。
たとえば、ヨーロッパの気候市民会議に倣い、地域住民の話し合いに報酬を出して集めると、関心がない人も集まります。
地域住民は関心ある人もない人もさまざまですから、必ずファシリテーターを派遣します。これは必須です。
そして地域から電力会社に提案をして、そして電力会社が開発する。
今と順序が逆だと、おそらく反対運動は起こりません。市民はイキイキと、徐々に対話にも慣れ、地域を活かすことを楽しみ、地域開発を楽しむようになります。
電力会社や国から「ここを開発する」と提示されると、まずそのことにびっくりして、反対からはじめます。これはお互いにとってとても残念で、負の感情のエネルギー消費がすさまじいです。もったいないです。
地域の開発の担い手の主体を、徐々に市民に置き換えてゆく。そのためにこそ予算と時間を使い、それを育てることができるのは、各地方自治体であり国です。ぜひよろしくお願いします。
そしてGXに書いておられる自然エネルギーの2030年までの目標値を36-38%で満足しないでください。これはあくまでも中間目標です。目標はあくまでも100%です。それは可能なはずです。可能なシュミレーションレポートはいっぱいあります。
最後に。
原発をふたたびベースロード電源として、今後も期限を決めず使い続けるという政府方針にはまったく同意していません。
よく「電気が足りなくなったらどうするの?」「電気代が上がり続けたらどうするの?」という脅し文句があります。
私は、その国で作れる電気の範囲で産業をつくり国民全員安心して暮らせる仕組みを作ることが政治と行政の力だと思っているので、そもそも多くの電力を使う暮らしの仕組み、産業の仕組みから根本的に見直すところからはじめなくてはいけないと考えています。
もともとエネルギー資源の乏しい日本が、なぜ重工業で強い国をつくらなければいけないのか、よくわからないと思っていて、それは天然資源の乏しい日本の地理的な特性に合わないと考えています。
国民の一人として、なによりも最優先に、国民の暮らしが安全で安心できるものであること、競争と富の優劣によらない心豊かに助け合える世界に私は暮らしていたいです。
原子力発電が自律性が高いとGX基本方針に記載がありますが、ウラン原料は100%輸入に頼り、核燃料サイクルはあちらでもこちらでも失敗し破綻している、増え続ける核ゴミについては最終処分もいまだ決められない中、何を持って自律性が高いと言われるのか、私は意味がさっぱりわかりません。
また、東京電力福島第一原子力発電所事故の反省と教訓を一時たりとも忘れることなく、「安全神話からの脱却」を不断に問い直すとあります。
まだ廃炉のメドも立っていない、廃炉とはどこまでの作業を指すのかも明確に決められていない、福島原発事故で今もなおふるさとに帰れない避難者の数、県外自主避難者もいれると、先ほどの説明の中で2.8万人という数字の提示もありましたが、少なくとも6万人以上と、福島で避難当事者のみなさまから伺っています。数が正しい間違ってるという話でなく、それくらい国や行政が認識する「避難民」という認識と、被災者一人一人が持っている「帰りたいけど帰れない」という認識のズレがこれだけあるということです。何をもって避難なのか、帰らなかったら、それは帰る意志がないとみなすことはおかしいです。帰りたくても帰れない。一人ひとり身体も体質も病歴も違うのに、「○ミリシーベルトまでは安全」とラインを引くことが、どれだけ無意味で分断を生み被災者を傷つけているか、想像したことがありますか?一人ひとりのいのち、暮らし、いとなみ、身体、悲しみ、みんな違うのです。まったくもって配慮と想像力が足りなすぎる。何をもって被災者に寄り添うなのか、何をもって教訓を一時たりとも忘れないなのか、原発立地地域とその周辺地域への避難の道筋、受け入れ体制も何もかも中途半端なままなぜ再稼働に踏み切れるのか、私はさっぱりわかりません。
原発再稼働、運転期間延長に断固反対します。
自然エネルギーへの移行期として原発が必要だというなら、明確に廃止期限を決め、新増設などはもってのほか、撤回してください。
すべての開発を自然エネルギーに集中すれば、100%以上十分できるはずです。
後始末できない、人間の手におえないものは、あきらめましょう、手を引きましょう、やめましょう。
原発再稼働、運転期間延長、新増設など、どの口が言うとんねん。
忘れるな!最も大切なものは、国民一人ひとりの命と暮らしです。
そのために国があり、産業があり、経済がある。
すべての中心にあるのは、いのちです。
私は、このGX説明会の大阪の会場にいました。6時間半に及ぶ対話でした。
そのあと、関東、東北、北海道会場、それぞれに参加された方のお話も聞きました。
参加してみてわかったことは、国の機関の方というのは、しばしば国民のことをマスとして「国民」というひとかたまりでものを考えられる傾向があるということを実感しました。お仕事の性質として、それはあたりまえのことなのかもしれません。
でもそれ、ものすごく危険です。国民の一人として、ご忠告申し上げます。
国民、ひとりひとりにいのちがあり、くらしがあり、いとなみがあります。それこそが国の宝です。それ以上に優先されるべきものはありません。忘れないで。見失わないで。
日本という国は、この国の歴史をみると、特に先の大戦からあと、戦後のこの国の歩みをつぶさに考えても、その帰来はぬぐえません。
この場は説明対話会という名前がついています。
でも、議事録もなければ、どこにも報告されない。
そして意見や希望を言っても、政府と違う意見だと「ご説明が足りない」と言われて結論は変わらないようです。
対話とは、それぞれの意見や希望、大切にしたいことは何なのかを聞き合い、お互い少しずつ折り合ったり合意できる地点を探し合う、すり合わせることを対話と言うと、私は認識しています。
みなさんのされていることは「対話」ではなく「言うことをきかせる」です。
それは国民主権を謳った憲法に反する人権問題だと私は思っています。
みなさんを非難する気持ちで言っているのではありません。日本という国は、今までそもそも対話というものをしたことも、その概念さえも多くの人が理解しないで、何もかもお上任せにしてきたのだと思います。国民主権を本当に理解して、自分ごととして国や行政の決定を考えてきた人はごくごくわずかなのだと思います。私は国民の一人として、そのことを反省し、今日ここでたとえ記録に残らなくても、自分の意見と希望をなるべく端的な言葉で伝えれるように考え、直接お伝えをするためにここまで来ました。これからも日本が本当に国民主権の民主的な国家として成長してゆけるよう、国民の一人として努力します。経産省に帰られたら、対話とは何か、国民主権とは何かを省庁の中でもぜひ今一度検討してください。対話とは、決定を下す前にいろんな意見を含めて考え試行錯誤することで、決定したものを動かさないことは対話ではありません。